青春が終わるのだ
嵐が2020年いっぱいを以ての活動休止を発表した。
私がこの事を知ったのはFC会員メールが配信された数時間後で、起床後すぐ開いたツイッターでフォロワーのツイートを見たのが最初だった。
ツイッターのタイムラインはすでに件の話題で持ちきりだった。
みんな、嵐の話をしていた。
あまりにも衝撃で正直、驚き以外の何も感じなかった。
というよりは事実としてどこか冷静に受け止めてはいて、でも頭も心もまだ追いついていなかったというのが正しいのだと思う。
どうやらすぐに記者会見が始まるらしかったので、とりあえずメンバーのコメントに目を通した。
まだどこか半信半疑の中、淡々と文字を追うだけで内容はよく頭に入ってこなかったが、どうやらこの件がマジらしい事だけはわかった。
それでも本人たちの口から、本人たちの声で言葉で語られるまでは、みたいな気持ちもあって(信じたくなかったのかもしれない、ファンクラブの動画は会見の後見たのでこの時は実感もなかった)ただただ「本当に?」という気持ちだけが強くて、呆然としていた。
そうこうしているうちに会見が始まって、各所から会見でのメンバーのコメントが出始めた。本人たちの声で聞きたかったので全てに目を通したわけではないけど、ツイッターに流れてくる記事のいくつかを読んだ。
泣いた。
自分でもびっくりするくらい、自然に涙が出た。
最初に智くんに話を聞いた時のことを、「驚いた、想像もしていなかったから」と二宮くんが言っていた。
翔くんは「バラバラになってしまったというよりは5人団結してひとつの目標に向かってる」って言っていた。*1
大泣きした。
活動休止という結果になってなお、5人は揃って同じ場所を見ていた。「5人で嵐」なんだと言う。今までと変わらない、私が好きな嵐だった。
もう悲しいって気持ちは一ミリもなくて、ただひたすらに切なくて寂しくてやるせなくて仕方なかった。
会見の写真も見た。
本当に活動休止を発表する会見の写真かってびっくりするぐらい和やかで、私が知ってるいつもの嵐で、それが逆に死ぬほど切なくて引くほど泣いた。
会見で「2021年以降の自分のビジョンは?」みたいなことを聞かれた翔くんが「5人じゃないと嵐じゃない」「嵐のことで頭がいっぱい」って言ったのを見て、また馬鹿みたいに泣いた。
「2020年の終わりまで5人で活動できるのはものすごい幸せで喜び」だって言う二宮くんの言葉は、私が愛した嵐第一主義の二宮くんらしい言葉で見事に死んでしまった。
活動休止の場で「やりたいことばっか」ってやりたいことをたくさん挙げる潤くんは、こんな時でもワクワクしてしまうような楽しい話をしてくれて大好きだと思った。
智くんの「嵐は宝物以外の何物でもない」「心の中で永遠に輝き続けてるもの」って言葉を聞いて泣かないオタクがいるなら名乗り出て欲しい。
相葉くんは「(喧嘩とか)嘘でもしとけばよかったね」って笑ってて、その笑顔があまりに愛しくて抱きしめたくなった。(心底迷惑だろうけど)
話し合いの中で印象に残ったことは?って質問に「できれば全員分欲しいけどね」「ランキング形式でいく?」「角が立つからやめよう」ってまるで雑談でもするみたいに口々に乗っかるの、最高に嵐だった。
こんな穏やかで和やかな活動休止会見、ある?
2018年、すばるがエイトから脱退、退所してエイトが6人になった。
タキツバが解散して翼は退所、タッキーが表舞台から去った。
「Jr.黄金期を支えたジャニーズJr.の絶対的カリスマ・アイドルとしての滝沢秀明を失ったばかりの我々は嵐まで失うのか」
嵐の活動休止を受けてジャニオタ・私が一番最初に抱いた感想はこれだった。
エイトがすばるの脱退を経てそれでも6人の関ジャニ∞を続けていくと決めたとき、私は全くの部外者だった*2けど外野なりに「だろうな」と思ったし、すごく自然にストンと腑に落ちた。
私が部外者だったからだと言われればそうかもしれないけど、もちろん私も寂しいと感じたし「なんで?」とも思った。(辞めんな!とすら思った、箱推しオタクなので脱退が地雷)
でも妙に納得したというか、なんて言えばいいのかわからないけど、彼らが出した答えはすごく関ジャニ∞らしいような気がした。
一方で今回、嵐が智くんの脱退を機に「4人でも嵐」という形を選ばなかったことも、私にとってはそれと同じくらい妙な説得力があるように思えた。
同時に(こんなこと言うのは相応しくない気もするけど)5人の「嵐は5人じゃなきゃダメだ」っていう思いが本当に強いんだなってことを改めて感じたのが嬉しかった。
メンバーが減っても関ジャニ∞というグループを残すことを選んだエイトはめちゃくちゃかっこいいけど、嵐はそういうタイプじゃないと思ってたから。
誰も脱退せず活動休止ってすごい嵐らしい答えだと思う。
「この5人じゃなきゃやってこれなかった」「嵐じゃなかったら続けられなかった」
こういう類のことをメンバーは今までそれぞれことあるごとに口にしていたし、それが心からの言葉なんだということを、彼らを見てきてすごく感じていた。
共に活動するメンバーが特別な存在で大切なものだと言えるグループは嵐以外にももちろんあると思うし、別に盲目的に「嵐だけが特別なんだ」とか言いたいわけでもない。
それぞれのグループの形、在り方があって、どれが正解でどれが間違ってるとかもないと思う。
でも嵐のあの雰囲気って唯一無二だと私は思っている。うまく言葉にできないけど、5人独特の空気がある。(もちろんどのグループにもそれぞれ特別な空気感があると思う)
メンバーも言ってたけどあの5人だから嵐なのであって、1人減っても1人増えても、あの5人でなくなった瞬間に嵐は嵐じゃなくなってしまう。
これは別に「他のグループはメンバー変わっても大丈夫」とかそういうことを言いたいわけじゃなくて、あくまで嵐の場合はっていう話。
多分この感覚はファンの人なんかはわかると思うんだけど、言葉にするのはすごく難しい。
ぼんやりした話をグダグダとしてしまったけど、結局何が言いたいかと言うと「活動休止は驚いたし寂しいけど5人が出したこの結論は今出せるベストなんだ」ということ。
これ以上ないくらいものすごく正しくて、正しすぎて、こんな形で5人の、嵐の揺るぎない芯の部分のブレなさというか絆の強さというかを見て逆に、勝手につらくなってしまった。
「5人が5人とも嵐が好き」「嵐が嫌になったとかではない」「嵐は宝物」
だったらなんで休止するの?なんてどうしたって言えない。だって全部わかるから。わかってるから。
嫌っていうほど5人の嵐に対する思いが強いことを知ってるし、改めてそれを感じたから。納得するしかないし、嫌でも納得してしまうから。
嵐が大切だからこそのこの決断だって、何回考えてもこれが最適解で、「もっとこうすればよかったんじゃないか」って考える余地もないくらい完璧な答えだった。
すごい。マジですごい。間違いがひとつもない。文句なし、満点。ついでに会見も模範回答みたいな会見だった。全世界、見習え。
皮肉なことに、活動休止というファンにとって一番聞きたくない知らせの場において、ファンが見てきた嵐というグループの真髄を、一番の美徳を、ファンが一番大好きな嵐をまざまざと見せつけられてしまったような気がした。
昔、二宮くんが『誰かが抜けるならそれは嵐じゃないから終わりにしたほうがいい』みたいなことをどこかで言ってた。
それでも解散じゃなくて活動休止って形に落ち着いたのは、そこが自分の嵐としての活動を一旦終わりにしたい智くんと、嵐を終わらせたくない4人のギリギリの妥協点で、同時に5人全員が嵐を大事に思ってるからこそ辿り着けた着地点なのかなと思う。
大野智という人について、私は個人的に誰にも何にも囚われない人だと解釈している。
一度自分で何かを決めたら誰に何を言われても自分の意志を貫く人だと思っているので、誤解を恐れずに言えばめちゃくちゃグループ活動に向かない人種だと思っていた。
むしろそんな人が20年もひと所に留まり、グループという言わばしがらみにとらわれることを良しとしていたことに驚く。
嵐を応援してきたオタクとして、解散やらを一度も考えたことがなかったわけではなくて、もしその時がくるのだとすればそれは100%智くんが辞める時だと思ってた。だから今回も「ああ、やっぱり」みたいな気持ちが少しあった。
とはいえ、いろんなグループの脱退や解散が取り沙汰される中でいつの間にか「嵐は大丈夫でしょ」と5人の安定感に胡座をかいてしまっていたし、5人の「嵐は5人で嵐」という言葉に過度に期待しすぎていたんだろうな。
「5人で嵐」って考えに変わりはなくても、5人が嵐としてこの先もずっと立ち止まることなく続いていく保証はないのに。
でも嬉しい誤算だったのは、「嵐を終わりにして事務所をやめる」っていう智くんの、おそらく考えあぐねいた結果の強い意志を、4人が「やめるんじゃなくお休みにしようよ」って変えちゃったこと。
きっと20年一緒にやってきた今だから、あの4人だからできたことなんだと思う。智くんにとって嵐のメンバーの存在は自分の決心を覆せるくらい大きいものだったんだなって思うと勝手にエモくなってしまう。
と、ここまで散々偉そうにクサイオタク語りをしてきたけれど、実は私は現在、嵐担ではない。
かろうじてファンクラブにはまだ入ってるけど、最後に入ったコンサートは2013年のARASHI Live Tour ”LOVE” だし*3、最後に買った新譜は2014年のオリジナルアルバムTHE DIGITALIAN で、映像も2015年の ARASHI BLAST in Miyagi 以降は買っていない。
ライブ映像も Japonism までは見たけどそれ以降は知らないし、昔はカップリングまで全部空で言えたシングルの順番ももうわからない。
そんな私が今日、会見を見ては泣き、泣き止んではまた泣きを繰り返している。今も片手にティッシュを握り締めて両目をパンパンに腫らし、鼻をズルズル啜りながらこれを書いている。(BGMはYes? No?、発表を知った瞬間からBGMはずっとStill...だった)。
久しぶりにiPhoneに入ってる嵐の曲全曲シャッフルで流した。(で、また泣く)
泣き止んだかと思えばなんでだかわからないけどまた涙が出てくる。泣きすぎで目はパサパサだし、鼻水の拭いすぎで鼻の下がヒリヒリする。久しぶりにこんなに泣いた。
今、私には他に追いかけているアイドルがいるし、推しもいる。
今現在嵐が一番好きな人からすれば「こいつ頭おかしいんじゃないの?」ってぐらいの泣きっぷりだという自負がある。「もう降りてんのにふざけんな」ってボコられてしまうかもしれない。
でも勝手に涙(と鼻水)出てくるんだから仕方ない、許して欲しい。
びっくりするぐらいの喪失感と虚無感。
これがじわじわ襲ってきて、どうしようもなくなって気持ちを整理するためにこれを書いている。
冒頭でちらっと「ツイッターでみんな嵐の話をしていた」と書いたけれど、私が現役の嵐オタであればこれは特に驚くようなことではない。
でも私が現役で嵐を追っかけていたのはもうだいたい10年くらい前の話で、私のツイッターのタイムラインにはもはや現役の嵐担はほぼいない。
だいたいは他の界隈で今も元気にオタクしている。そんなタイムラインが嵐の活動休止を嘆き悲しむツイートで溢れていた。
かくいう私も降りてから数年、様々な界隈を渡り歩き、現在は歴戦のオタクとして多方面で元気いっぱいオタクしている。
今でこそ友人知人に「オールラウンダーフッ軽オタク」などと半分馬鹿にされてるような気もするキャッチコピー(?)を授けられるゴリゴリのオールジャンルオタクみたいなオタクの私だが、全ての始まりは何を隠そう学生時代にドハマりした嵐なのである。
いろんな人を好きになって、追いかけて、現場に通って、いろんなものを見てきた。
どれもどの推しも本当に大好きだけど、生まれて初めて好きになったものってやっぱり特別なんだと思う。
思い入れが違う。桁違いなんだよ。
私はアイドルという存在が死ぬほど好きで、これから先の人生も死ぬまで何かしらアイドルのようなものを追いかけ続けると思う。
それがジャニーズなのか、女子ドルなのか、はたまた二次元アイドルなのかはわからない。
でも間違いなく原点は嵐で、追いかけなくなっても他の誰かに担降りしても推し変しても、私の中で嵐は一生一番でそれは絶対に揺るがない。
死ぬまで嵐が絶対で唯一のナンバーワンのアイドルなんだよ。これだけは何があっても変わらない。自信がある。
正直、青春補正はあると思う。
学生時代にハマったものってなんか甘酸っぱい思い出みたいな感じしない?
でも人生で一番聴いてるの、誇張なしでダントツ嵐だろうし、ライブ映像も一番見てるのも絶対嵐。
今でも嵐の曲を聴くとなんとも言えない懐かしい気持ちになる。
私が青春を捧げた唯一無二の最高のアイドルが、一心不乱に歩んできたその足を止めて一旦幕を降ろすその時を、きっとまた今日みたいに泣いてしまうけれど、「出会えてよかった、ありがとう」って受け入れられたらいいな。
5人が作った最後の2年、彼ららしく楽しく、5人とファンのみんなが悔いなく過ごせるよう祈っています。
なんか智くんフラッと帰ってきそうな気もするけど、先のことはわからないし過剰な期待は誰も幸せにしないから、私は一旦お別れするつもりです。
ありがとう、いつまでも大好きです。
2020年、私が出会った最高のアイドルが眠りにつくまであと2年。
青春が終わるのだ。